ヴィクトール・フランクル「夜と霧」

大した読書家でもないが、この世界でこれ以上尊い言葉はないだろう。
あらすじは紹介しないが、一番凄まじいところだけ引用しておく。

「あなた方が経験したことは、この世界のどんな力も奪えない」(中略)
過去で『ある』ことも、一種の『ある』ことであり、おそらくはもっとも確実な『ある』ことなのだ。

つまり過去を存在と認め、それがどんなに今が悲惨であろうとも、誰にも汚すことも貶めることもできないものだと表明したのだ。
ここに至るまでに踏まえておくべきところがある。
収容所に収容されるとき、ユダヤ人たちは、自分の持ち物は服、メガネ、頭髪に至るまで全て取り上げられた。
そのときフランクルは古参の囚人に、「自分が今執筆している論文だけは、持たせてくれ」と嘆願するが、嘲りとともに、「糞ったれ!」と返答される。

「このとき、わたしはことの次第をのみこんだ。そして、この第一段階のクライマックスにおける心理学的反応をした。つまり、それまでの人生をすべてなかったことにしたのだ」

妻と子供も同時に収容され、その生死は知れない。(二人とも生きて帰ることはなかった)。その後、人類史上、もっとも凄惨な時間・凄惨な場所で過ごし、フランクルは先に挙げた言葉にたどり着く。人間に、そんなことが可能なのかと呆然とする。
フランクル自身も、そうした中でも誇りを失わない人たちに対して、同じ思いを抱いたのだろう。収容所正解活を記した章の最後の文を引用して終わる。

わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とは何者か。人間とは、人間とは何かを常に決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。