冗談を言う事の憂鬱

自分はコミュニケーション能力に致命的な欠点があると悟って以来、いや、もしかしたら鬱のせいで歪んだ認知でそう思ったためか、まあどっちでもいいが、人と話す前には会話をある程度シミュレートする癖が付いた。なので、会話にネタを仕込むことくらいは普通にできる。

なので、アイキャンフライ未遂から一週間で、何事もなかったかのように冗談を飛ばしながら話を組み立てるというのは、別に難しいことではない。普通である。話してる本人は、想定から外れた会話になるといえども、ある程度は仕込んだネタをところどころ使うように持っていくので、咄々としゃべるのみである。

そうやって道化を演じてぎりぎり社会性を保っている自分としては、全く同じことを書いている中島らもの落語を見ると泣けてくる。ネタを考え出したあたりでは自分でも笑えるのである。しかし話す時には、演じることが優先なので笑う気にならない。

落語の爆笑ネタをやっている中島らもの、沈みきった内面を抱えながら、しかしそうしてでも表現することで、どうにか自分を奮い立たせ、自分をこの世に繋ぎとめようとている姿を見ると涙腺が緩む。