武道論として読む「日本辺境論」(内田樹)

内田樹の日本辺境論を読んだ。考えたことを記す。

日本人が、自らを中原の皇帝の「王華の光」が届かぬ辺境民である、と位置づけていると、大風呂敷を広げて、日本成立から今日に至るまでの日本人の一貫した思考の習慣を抉り出そうという内容で、まあ多分歴史を知ってる人から見れば荒唐無稽に映るだろう。自分にはこれに反論するだけの知識がないが。

内田の「武道観」の全容がかなり詳細に書かれているので、自分はこれを武道論として読んだ。(日本人がどうすべきか?などという問は、すまないが自分にはどーでもいいのである。そもそも、その「日本人」という集合名詞に私は含まれとるんか?)

3章において、「道」思想の成り立ちと構造的な弱点、そしてそれを克服するための「機」の思想について述べられているのだが、これが内田の武道観が不足なく表現されていて、見事な内容だった。少なくとも、これに反論するに足る知識を、自分は持たない。

「道」を自分が理解した範囲で表現すると、かつて開祖が到達したと伝えられる「遙かなる高み」を、あとから続く弟子達が、疑いも持たずに「目指してしまえる」こと、だと言える。『自分はできないが、かつて開祖はこのような境地にたったらしい』、と弟子に伝えることで、(たとえ失伝しようとも)「遥かな高み」が存在することについては、無条件に信じてしまうのだ。これは、辺境の民として生まれ、「ココ」ではないどこかに、遥かに進んだ世界があると信じてしまう日本人の特性であって、それが何を意味するかを知らぬまま、その高みを目指せるという、ある意味での「愚かしさ」よく言えば「無垢さ」に起因している。しかし「道」は、その目的地が一生涯をかけても辿り着けないほどの高みである故に、今の自分が未熟であることを容認してしまい易く、術技の向上の妨げになりやすいという、構造的な欠点を持っている。その構造的な欠点を克服して、「手持ちのもの」で、「目の前に迫っている危機」に間に合わせてしまう、それも偶然によらずに構造的に、必然的に間に合わせてしまう(後の先を取る)ために、日本人が「機」という概念を発達させたと主張している。

自分はこれを、甲野先生に投影して、遥かな抽象的な目標を設定することと、目の前の相手に、具体的にどうやって対処することをどうやって両立させるか、ということに置き換えて読んだ。

自分は「内田が自分の術技の正統性(というと語弊がある気がするが・・・)の根拠を、無批判に師に求めている」と思って、その姿勢を無責任だと批判したというか、八つ当たりしたことがある。甲野先生の影響下にある自分の目には、それが「道」特有の「あるかどうか解らないし、何を意味するか理解しているとも思えないのに、神棚に掛けてある掛け軸の言葉を祀り上げて、それを自分の未熟さや、術技の有効性や意味について問うことから逃げている」と映った。

しかし、本書で内田は、遥かな高みを目指すことと、未熟な自分で現実に対処するという二律背反を克服するためのフレームワークを、「道」と「機」の二つで十分に提示したと思う。これについて反論すべきところは思いつかない。

この「機の思想」を考えた(のか多田宏九段から教わったのかは知らないが)背景には、甲野先生の存在の影響はかなりあるのではないかと邪推した。甲野先生は、存在そのものが、伝統武道(剣道が伝統武道であるかは議論が要ると思うが)に対する批判的な問い掛けだから。

感想としては、「なるほど、師をもって、伝統のある流派を修行するとはこういうことか」と思った。自分の場合は、

  • 非常に卑近な目標を立ててそれを積み重ねるか、
  • 遥かな目標を掲げて行き方が分からず呆然となるか、
  • 目標を立てると言う事自体放棄するか

のどれかだったと思う。

内田の武道観を知る上で、あるいは稽古のやり方が分からなくなったような場合は一読すると何か得る所があるかも知れない。

気が向いたら「他者からの問いかけに応じて起動する自己」というものと、それだけで構成された人格で生きることの可能性について考察してみる。